なぜAIを導入しても利益が出ないのか——量産の罠と、これからの『着眼』
#AI#生成AI#生産性#AI導入#アテンションエコノミー#エッセイ
序章 三年前の予言の、答え合わせ

2023年、GPT-4が登場した当時、SNSはお祭りでした。
企業の生産性は、爆発的に上がる。キャッチコピーも、SEO記事も、セールスレターも、これからはAIが書く。ライバル企業はどんどん使ってくる。乗り遅れるな。ビジネス系のインフルエンサーたちが、こぞって投稿していました。
3年が経った今、実は全然そうなっていません。
2025年、MITの研究グループから、企業の生成AI導入に関する報告が公表されました。各企業の生成AIのプロジェクトのうち、測定可能な利益を生んだのは、わずか5%。おそらくその5%もほとんどがコーディング領域でしょう。
うちの会社はAI利用が遅れていると心配する必要は、まだそんなにありません。AIを導入すべきなのは間違いないですが、導入することと業績が上がることは全く別のこと。AIの企業導入がうまくいかないのには、根源的な理由があります。
2023年のインフルエンサーの予言は外れましたが、奇妙な外れ方をしています。AIがキャッチコピーを書き、SEO記事を書き、営業メールを書く未来は、実際に来たからです。ただ、予言と違ったのは、それらが価値を生まなかったこと。
予言が取り違えていたのは、生産量の増加と、価値の創出の混同です。この混同は、僕たちが無意識に取り憑かれているコスパとタイパという発想にも表れています。不思議なほどAIが企業で利益を産まない理由を、紐解いていきましょう。
第一章 作っても、届かない
2024年11月。Webに公開される記事の本数で、AIが人間を追い抜きました。ChatGPTの登場から、ちょうど2年でした。
画像はもっと極端です。人類が写真を150億枚撮影するのには、最初の一枚が撮られた1826年から約150年かかりました。生成AIは同じ150億枚を、約1年半で作りました。2023年時点の推計です。
文章も、画像も、動画も、コードも。生産する側には、もう際限がありません。供給だけが指数関数的に伸びていく。一方で、それを消費する人間はどうでしょうか。
現在の世界人口は約82億人。2080年代に約103億人でピークに達し、その後は減少に転じる予想です。消費者の総量は、地球全体でもせいぜい2〜3割増まで。日本に絞れば、2070年までに3割減です。
供給は無制限、消費は頭打ち。この非対称が、これからの社会の基本構造です。ならば、大半の成果物、99.9%以上が生まれた瞬間から誰の目にも留まらなくなります。もちろん需給のバランスが崩壊しているからです。
AIで量産された報告書も、提案書も、コンテンツも、それを消費する相手の有限な時間を奪い合います。作る速度だけが上がり、読む人間は増えていない。作っても、作っても、生産量の分母を増やすだけ。消費する人間の方が足りません。
なぜ僕たちは、届かないものを作り続けてしまうのか。この罠の原型にハマったのは、1万年前の人類。その人類がハマった罠から、2026年の現在でも、抜け出せていないのです。
第二章 外れても、届く
需給の壁を突破して、消費者の目に留まるコンテンツがしばしば生まれます。
未来予測はそれ自体が現代ではコンテンツとなっています。コンテンツである以上、上限のある視聴者の注意を奪い合って競争しています。この競争で勝ち残るのは、正確な予測でも、価値のある予測でもありません。「強い予測」です。
消費者の注意を引く強烈な予言。予測自体は表現の自由。外れても罰則はなく、不安や怒りなどの感情が触発されると、むしろ拡散される。強い予測は需給の壁を最も効果的に突破し、視聴者に届きます。陰謀論などもこの類です。Xでは喧嘩の投稿ばかりが目立っています。
予測の正誤にかかわらず、強い預言者は消費者の注目を集め、プラットフォームから評価され、フォロワーを増やし、さらに影響力が増していきます。もちろん、有益な配信を地道に重ねて、信頼の連鎖で影響力を持っているインフルエンサーもたくさんいます。
ただ、2023年のAI利用の啓蒙は、その強い予言そのものでした。そして今現在、主語がAGIやAIエージェントに変わり、予言はいまも皆さんの目に触れています。
第三章 取り戻せない2時間

人口の上限以上にシビアなのが、個人の可処分時間の上限です。
供給は無制限に増えており、それが一人一人の「注目」を奪い合う。より正確に言えば「注意」を奪い合っています。これはアテンション・エコノミーと言われる現象です。
動画、SNS、ニュース、広告、ゲーム、LINEの通知。あらゆる画面が、あなたの注意を奪い合っています。そして注意を奪えるような、淘汰圧を勝ち抜いた情報だけが皆さんの画面に現れます。それらは今の活動を中断して、思わずタップしてしまうような表現とタイミングで現れます。
情報の供給量が増え続けるなら、淘汰圧の競争も激化していきます。それを勝ち抜いた「注意を刈り取る力」もどんどん強くなっている。一方で、一人が一日に払える注意の量は増えません。ならば一つ一つのコンテンツに割ける注意の量は、自ずと薄まる。
例えばNetflixで2時間の映画を見ているのに、LINEや、ショート動画、インスタなどを自然と開いてしまう。通知が来て開くなら分からなくもありませんが、今では通知が来ていなくとも開いてしまう。注意が分散するあまり、集中力が保てなくなっているこの現象は、アテンションクライシスと言われます。
倍速視聴。映画の早送り。切り抜き。そういった視聴習慣はアテンションクライシスに対する、ある種の防衛反応だと考えられる。有限の注意で無限の供給を処理するには、一件あたりを薄く、速くするしかない。作る側が効率で量を増やし、見る側が効率で処理量を増やす。供給者も需要者も、双方がタイパを追い、双方が疲弊しています。
一方で興味深いことに、このアテンションクライシスに逆行する現象もあります。
劇場版「鬼滅の刃」は日本の映画史の興行収入を塗り替えました。2020年公開の「無限列車編」は、興行収入407.5億円。2025年公開の「無限城編 第一章」は、402億円。興行収入の歴代1位と2位を独占しています。国内の観客動員は、一作だけで延べ2745万人。日本の人口の2割強に相当する回数、劇場の席が埋まったことになります。
このアテンションクライシスの時代に、2時間35分もの間、人口の2割強の回数が映画館でじっと視聴されたのです。サブスクでもなく、所定の対価を支払ってまで、わざわざ足を運んだ。なぜでしょう?
Amazonプライムで見る作品と、映画館で見る作品は、内容としては同じものです。でも視聴者には、まるで違う印象が生まれる。スクリーンと音響の差だけではありません。
サブスクの配信は、いつでも止められ、巻き戻せて、何度でも再生できる。画面から目を離しても、特に困らない。気づいたら画面を見ながらもスマホにも注意を分割している。供給過剰の世界では、もはやそれがデフォルトになっている。
映画館は、逆です。その2時間半は連続した一度きりの体験で、途中で止められない。隣の人と話すことも憚られるし、トイレも先に済ませておく必要がある。スマホを開くこと自体がタブー。今、全力で集中するほかない環境に置かれます。
注意の投下量は、没入と記憶の深さを決めます。ながら視聴が物語への没入と満足度を著しく下げることは、メディア心理学の研究を引用するまでもありません。ならば、倍速とながらで処理されるコンテンツは、消費、場合によっては浪費かもしれない。一方で取り戻せない時間として、集中して視聴するコンテンツは、体験と言える。
コンテンツの中身が決めるのではありません。受け取る側の環境条件が注意の量を決め、注意の量が、消費か体験かを決めています。
映画館では、作品を効率良く消費したいなどとは誰も思わない。2時間の映画を30分で見せてくれる映画館はタイパが良いというのはアメリカンジョークです。アテンションクライシスの時代に価値になるのは、一つにはコンテンツの消費のしやすさではなく、逆説的ですが、コンテンツの視聴しにくさです。対価を払い、自ら足を運んで、それ以外ない状態に自らを置くことで、体験価値を享受できます。
第四章 AIは量産の道具という思い込み

世界中のAI利用者の大半が、AIを量産のツールだと思っています。
プロンプトを一行打てば、文章が、画像が、コードが数十秒で出てきます。生産するのに、認知負荷がほとんどかからない。楽に大量に作れる道具を渡されたら、楽に大量に作るのは自然なこと。その結果、AIで量産されたコンテンツが当然のように氾濫しました。
ただ面白いAI作品には、必ず人間の着想やディレクションが介在しています。一つのプロンプトで簡単に作ったものではない。AIにワンポチするだけで作ったコンテンツに面白いものは皆無に等しい。市場はもちろん、それらに価値を認めませんでした。英語圏ではこの現象を、AIスロップと呼びます。残飯のことです。
もとより供給全体のほんのわずかな上澄みだけしか、視聴される可能性すら与えられない。供給量自体はどんどん増えていき、足切りのラインもどんどん上がっていきます。ならば、作品は品質に比例して価値を持つのではない。足切りラインを1点でも越えなければ、消費の観点での価値は等しくゼロです。目に留まるすべがないからです。
人々が2時間半もの時間を鬼滅の刃に差し出したのは、作品の品質がこの足切りラインの遥か上にあったからです。制作会社のufotableは、手書きも撮影も3Dも仕上げも内製し、デジタル制作技術を全面的に使うアニメーション会社です。何ヶ月もかけて作ったシーンを、後半のアニメーションとのわずかな整合性のために最初からすべて描き直すことすらある。
ufotableは積極的にデジタルツールに投資していますが、それで得た余剰生産力を量産ではなく、品質に向けて投下しています。同時に手がけるタイトルを絞り、一つの作品の到達点に集中して注ぎ込んだ。映画館という注意量を集中させる環境で、過剰とも言える品質の作品を体験した、その視聴者の感動は予想を遥かに超えたものになっていた。ufotableの方針は私たちが見習うべき、正解です。
私たちも同様で、AIは量産に使ってもほとんど価値がありません。AIは品質を上げるために使うべきだというのが僕の見解です。
人間が認知力を使って、AIをディレクションしていく必要がある。人間はそういった意味では、楽になっていない。使う思考領域が変化しただけで、脳は以前にも増してフル稼働しているかもしれない。それは人間の価値の裏返しでもあります。そして、AIを品質向上に向けて活用するならば、これまでにない作品もプロダクトも作れる。AIは本当は非常に有益です。
AIで作業効率を上げることは全く否定しません。僕もそうしています。ただ作業効率を上げていることと、品質を上げることは同義ではない。数十回の試行錯誤、スクラップアンドビルドを経て改善を繰り返す。構成のあり方を、AIと何十往復もディスカッションする。どの切り口、どのアナロジーが適切か、着眼し、それをAIに与える。ちなみにこの原稿はバージョン17です(笑)。AIに初稿は書かせたとしても、初稿の原文は一文も残っていない。
AIを使っていても、人間の役割は意外に大きい。AIで企業が利益を出せていないのは、量産の方向にAIを差し込んでしまっているという節がある。少なくとも2023年の言説は量産に向けての予言に終始していました。
第五章 1万年前から続く詐欺

実は1万年前にもまったく同じことが起きています。
人類最初の生産性革命は、産業革命ではありません。それよりずっと前、「農業革命」です。約1万年前、人類は狩猟採集をやめ、小麦を育て始めました。土地あたりの食料生産は跳ね上がり、人口は増えた。文明の出発点とも言えます。
その人類史を示唆に富む文章にまとめ上げたのが、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ。有名な『サピエンス全史』です。2011年に出版され世界的なベストセラーになりました。一部を抜粋して要約します。
小麦は、石の多い土地を嫌う。だから人類は、畑から石を運び出した。小麦は、水を欲しがる。だから人類は、水を引いた。雑草を抜き、害虫を見張り、獣や泥棒から実を守る。日の出から日没まで、特定の植物の世話だけをして生きる哺乳類は、人類しかいない。
しかも、人類の身体は、この労働のために進化していない。果実の木に登り、獲物を追って走るための身体で、腰を曲げて畑を耕した。その結果、椎間板ヘルニアや関節炎となった。
食卓も貧しくなった。狩猟採集民は、木の実、果実、根、獣、魚と、何十種類もの食物を組み合わせて食べていた。一つが不作でも、別のものがある。農耕民の食事は、単一の穀物に偏る。栄養は欠け、凶作が来れば、逃げ場なく飢えた。
生産量は増えたのに、生活は過酷になった。世話をしていたのは、どちらだったのか。「農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ」。人類が小麦を栽培化したのではなく、小麦が人類を家畜化したのだ。
小麦は、楽に増やせました。増やせるから、増やした。増やした分だけ人口が増え、増えた人口を養うために、さらに小麦を増やすしかなくなった。生産性の向上分は、そのまま生産の要求水準の上昇に吸収された。楽になるはずの取引で、人類は労働が増え、しかも降りられなくなったのです。
これは1万年前から現在まで続いている現象。メールは手紙より速く、チャットはメールより速い。生産性のためのツールは、この30年増え続けました。でも、忙しさは減る気配がない。生産性が向上した分は、要求水準が向上することで吸収されるからです。
プロンプト一行で増やせるコンテンツは、小麦と同じ性質を持っています。楽に増やせるものが、人間の行動を作り替える。小麦が人類を家畜化したのなら、生成AIは、人間を量産者として家畜化しつつある。AIスロップは、それと似ています。人間はAIを楽な使い方で利用し、AIに学習データを与えているだけかもしれない。
生産性の向上は直ちに要求水準の向上を引き起こし、人間の余剰時間を吸収します。そのループから人類はいまだ降りられていません。AI革命では、どうでしょうか?
第六章 着眼が先、最適化が後

僕も含めて、タイパを考えているとき、人は、価値の創造を考えていません。
これは怠慢ではない。価値の創造について1日中考えていたら、仕事も生活も回らない。だから価値の創造は一旦棚上げされ、既存の価値をより効率的に生産する分業体制ができています。それがいわば社会です。
ただ、今ある価値はじきに失われていく。世界の方は絶えず進歩し進化しているからです。いずれ誰かがより上位の価値を作り出して、その領域を飲み込んでいきます。つまり、タイパやコスパは、そう遠くない未来に消え去る領域の最適化問題です。
そして最適化問題はAIに任せるべき領域です。本来人間が考えた方が良いことは「価値の創造」、さらにその前段階として、何に「着眼」するかです。AIは最適化問題を解くのは抜群に上手いですが、着眼を持つことは意外なほどできない。
もちろん、現代人にその余裕がないことは僕も痛いほどわかります。仕事、家事、育児で可処分時間がほとんどない。でもAIを使って業務効率化ができたなら、浮いた時間は量産ではなく、次の価値、ひいては何に着眼するかを考える時間に当てた方がいい。
一度目の農業革命では、着眼する人が誰もいなかった。増やせるから、増やした。何が価値かを問う前に、人類は最初から最適化に取り込まれていた。人間の種は増えたけれど、個としての人間は家畜化し、疲弊し、そして飢えた。
そして、既存の価値を最適化させ続けてしまうと、逆説的に次の価値創造が遅れます。
2000年、ビデオレンタル最大手ブロックバスターは、創業3年のNetflixから、5000万ドルで会社を買わないかという提案を断りました。当時全世界に9000店舗超を構えた大企業。その収益の柱の一つが、返却遅れの延滞料金でした。Netflixのサブスクリプションには延滞料金がありません。延滞料金を最大化するように磨き上げられた事業から見ると、延滞料金を消す事業への移行は、魅力的に見えなかったのです。
ブロックバスターは2010年に経営破綻しました。既存価値への最適化の盲信は、進化を拒む理由になった。いわゆるイノベーションのジレンマです。
第七章 人間をAIにプラグインする

僕らはこれまで、AIを人間の仕事にプラグインしてきました。人間のワークフローがあり、その一部にAIを差し込む。文章の下書きに、調べ物に、コードの補完に。
おそらくこの現象は逆転します。実行のワークフローはAIがほぼすべて受け持ち、人間の着眼と知恵をAIに授ける。つまりは人間をAIにプラグインする。人間の着眼がそれほど重要なのです。
すでに天文学の最前線はこの形式をとっています。2025年、チリのヴェラ・ルービン天文台が観測を始めました。観測データは、一晩で約20テラバイト。検出する空の変化は、一晩に数百万件から一千万件。全世界の天文学者を集めても、確認できる量ではない。
当然、機械学習のシステムが全件を分類し、選別します。では、人間は何をしているのか。実は何に着眼すべきかを真剣に考えています。何が面白いと変化と考えられるか。どの異常に、追跡する価値があるか。選別されたごく僅かな対象が、観測を続ける価値があるかの判断を下す。天文学者の仕事は、空を見ることから、着眼を設計することに移っています。
機械が全量を処理し、人間が判断を供給する分業は珍しくありません。クレジットカードの不正検知も、SNSの投稿監視も、工場の外観検査も、この形です。ただ、その現場では、不正、違反、不良などの定義が固定されています。人間は与えられた基準の中で、例外を処理する係です。
天文台は、逆です。何が発見するに値するのか。人間は、発見すべきもの自体を発見しようとしています。ほぼ全ての実務はAIやシステムが担当し、何を問うべきかという着眼を人間がプラグインして与えています。
人間が担う領域は、結局は認知の領域。AIで楽になった分を既存の効率化に再投資するのではなく、次の価値の判断に投資している。着眼と判断を供給する人間は、AIで替えが利かないのです。
終章 二度目の取引の断り方
効率は重要ですが、効率に飲み込まれてはならない。効率化は意外なほど悪循環を引き起こします。
明日も職場ではタイパが求められます。それはそれで良い。ただ、効率は次の価値ではない。効率は、考える対象ではなく、AIに委譲する対象です。
農業革命では、作物を耕作し、生産性が向上しましたが、要求水準が増加し人類は搾り取られてきました。産業革命は、筋力の実行を機械に移し、生産性が向上しましたが、要求水準が増加し、同様に搾り取られてきました。AI革命は、知的な実行を委任し生産性が向上するでしょうが、要求水準も供給量も増加し、同じように搾り取られたら意味がありません。
農業革命から続くループから降りられるかどうかは、効率化された時間を、どこに注ぎ直すかで決まります。何を作るか。何が品質か。何を面白いと見なすか。それを考えることが人間の分野。着眼としての問いです。
コスパとタイパに関する業務はどうせAIが代行します。次の価値を作ることにAIを使う、そのために人間の着眼をAIにプラグインすることが僕の提案です。